防衛庁長官政務官・衆議院議員  小島敏男

イラク調査団に参加して

 果てしなく続く砂漠のど真中を時速120〜140kmで1000kmを走破したが、普段まったく気にもとめないような木々の緑のありがたさを身にしみて感じた。

 政府与党イラク調査団に同行して6月20日〜25日までバグダット・バスラを中心に視察をした。イラクは全国土の8割が砂漠と山林で耕地面積は13%、灌漑8%という土地柄だが、96年当時は食料自給率80%を保っていたが、度重なる戦争や経済制裁によって今では15%までに落ち込んでいる。
 「オイル、フォー、フード」の関係で生産意欲の減退もあるのかもしれない。
兎も角、アンマンから1日がかりで首都バグダットに着いた。市内中心部にある宿泊地は、テレビニュースで大きく取り上げられた現地アルジャジーラの記者が米軍の発砲で死亡したあのホテル、パレスチナホテルだった。立派な建物だが湾岸戦争以来、経営者が変わったりしてほとんど手入れされていない。ホテルの女性従業員は夜間は危険なので見当たらず、殺風景な状況の中、部屋に入ってみると小さなゴキブリが歓迎して出てきたのには驚いた。
1日の内に何回も停電があるので、朝晩は電気のついているときが勝負。何しろローソクも懐中電灯もないのですから。
 次の日、市内に出掛けてみるとシャッターを下ろしている店もかなりあったが、総じて市民の顔に戦時下にあるような不安な顔は見当たらなかった。宮殿、その他政府の建物で米軍のピンポイント爆撃で破壊されたものもあるが、その他ほとんどは商店街を含めて市民の暴動後の略奪の生々しい傷跡だった。
 米軍の活動状況も視察したが、炎天下、頑張っている姿に感動した。兵士曰く、「私達は大統領の命令があれば18時間以内に集合し、40時間以内に世界のどの地点にでも行けるように訓練されています。どこに行くかまたそれぞれの任務は集合した後に聞かされます。」と。
 戦車やジープに立って機関銃を持っている兵士の多くが女性兵士であったのも印象的だった。連合司令部や連合暫定施政局、国連関係者、NGO等数多くの人達と会議や懇談の場が持たれた。
しかし、たった1日の中に詰め込むだけ詰め込んだ日程で、メンバーの1人が「この暑さの中でこれだけ動いているのは、イラク国内でも私達だけだろう」と汗だくで言っていた。

 翌朝6時出発でバスラに向かった。今度は車で500kmの道のりだ。アンマンから来た時とはうって変わって車窓から見える風景は緑豊かな穀倉地帯で農耕をしている人、羊の群れ、馬の群れ等、暫くの間、別世界が続いた。思えばバグダット市内の貧しい人達が暮らす市場にも新鮮な果物や野菜がたくさん並んでいたが、この地域から運ばれたものだろう。やがてまた砂漠になり、時折見かけるラクダの群れと破壊されたイラク軍戦車の残骸が道路端にある景色が続いた。バスラ国際空港は米軍が本拠地としているところだが、外気温は47,5℃を示していた。車外に出ると熱風と言って良いと思うのだが、砂漠の上を通過した天然ドライヤーそのものだ。空港内の隊員食堂(大きな待合室のようだ)で食事をとったのだが(もちろんバイキング形式)、外から戻ってきた兵士にとっては唯一安心できて楽しみな場所ではないだろうか。水が出ない為、トイレは屋外の仮設であり、旧日本式そのものであったが、男女兼用に違和感をもっていないようだった。戦場だからだろうか。今年5月に与党幹事長が現地に飛んで視察をしたウンム・カスルの港にも行ったが、日本の援助で大きな船が接岸を出来るようになったと感謝の意が述べられた。湾岸戦争時に沈没した船が未だ200隻近くあり、河川の浚渫と合わせて引上げ作業もしているとの説明もあった。その後、一路クウェートに向かったが、国境にはイラク軍の戦車を防ぐ為、深い堀が砂漠の中に延々と続いていた。

 街に入ると緑樹と美しい家並みが続いておりサダム・フセインが「クウェートは、昔俺達イラクの国土の一部だ」と言って攻めたのも現地を見て理解した。石油が出なければ、単に砂漠そのものなのだが、海水を真水に変えることによって街中を緑豊かにした都市だと伺った。酒はご法度で厳しく、ホテルで飲んでいるところを見つかると警察に連行され、後が大変面倒だと現地の大使が話されていた。
 短い日程の中、石油産出国であるイラクと隣国のクウェートを訪問したが、一体どちらが本当の国なのか考えさせられた。今回の視察を通して我が国では想像もつかない水と緑の重要なこと、特に電気が近代生活では不可欠であることも改めて理解したところであります。

私の感想

  自衛隊派遣については国際社会への貢献として行うべきであるが、憲法の絡みもあって米・英軍や多国籍軍と同じ活動は出来ない。あくまでも現時点では後方支援に限らざるを得ない。
 自衛隊は安全・安心な所にしか出してはいけないという議論が先行しているが、危険な場所は他の国で、日本の自衛隊は安全な地域で、ということは将来においては通じなくなるだろう。
 現地の高官は日本の現在の立場をよく理解している様子で、支援の方法は日本で考えて、そして協力して欲しいと語っていた。
 資源のほとんど無い我が国にとってこれからの日本のあり方を示す良い機会だと思っている。金だけでは通じないことは湾岸戦争で経験済みなので汗を流して貢献すべきだろう。
 イラク国民の為に!!そして日本国の為に!!

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